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先日、息子が、右目のあたりと右肩を怪我して学校から帰って来た。
聞くと、学校の帰りに、同級生の友達にふざけて後ろから押され、倒れた拍子にマンホールのふたに打ちつけてしまったらしい。
帰る途中はじっと我慢していたようだが、帰宅したところで事情を聞くと、こらえきれずに大泣きし始めた。
抱きしめてやると、ほどなくして落ち着いたが、こめかみと眼の間あたりが青く腫れ上がってきた。
学校は知っているのかと尋ねると、知っているという。念のため、電話をしてみると、ふざけ合って転んだようだった、と言われる。
息子に聞いたいきさつを伝えると、相手の子の親にも連絡をすると言う。
そのときは、一応そうすべきだろうと思った。
校内なら、まだ大人の眼も届くし、それほど危険な事もないだろう。しかし、登下校の途中には、車も走るし、危険なものもたくさんある。少なくとも一度は、登下校の途中でふざけないように、ということを、相手の子にも親から注意してもらった方がいいのではないか…と思ったのだ。
しかし、その電話を切ったあと、(果たしてこれで良かったのか?)という思いが、記憶の片隅にあるひとつのシーンと一緒に胸をよぎった。
そのシーンというのは、現実の事ではなく、ある物語の中の挿絵である。もしかしたら挿絵でもなく、物語を聞いたときに自分の頭に思い描いた光景だったのかもしれないが…
それは、小学校の時の「道徳」(もしかしたら、国語だったかも…)の時間に聞かされた、「最後の授業」という、フランスアルザス地方を舞台にした物語だ。
覚えているあらすじは、大体次のような感じである。
昔、フランスとドイツとが戦争をして、ドイツが勝ったため、フランスのアルザス地方がドイツに併合されることになった。
そこで、アルザスのある学校(小学校?)では、今日がフランス語(国語)の最後の授業という日だった。
その日に、ひとりの少年が遅刻をして、宿題を忘れて行った(確か…)。
少年が教室に入ると、村の人たちやドイツの兵隊などもたくさん教室に入っていた。その、遅刻をしてしかも宿題を忘れて来た少年は、授業中に当てられたが、何も答える事ができず、ただ立っていた(このシーンを思い出したのだ)。
そこで、少年は、状況からしてこっぴどく叱られると思ったが、先生の言葉は意外なものだった。
それは、こういう言葉だったと記憶している。「私は、君を叱らない。君はその状態で十分に罰せられているからだ。」
つまり、少年は、何も答える事ができず、ただ立っているという状態におかれている。そのことで、既に十分に、自分の愚かさを認識し反省している。とその先生は言っているのである。
物語はまだまだ続き、「国が代わっても民族の言葉は大切にしよう」というようなことを説いて行くのであるが、僕は、先のシーンに非常に感銘を受けたので、特に印象に残っていたのだ。
話を元に戻そう。
その同級生も、息子を押し倒して、怪我までさせるつもりはなかったはずである。
息子が怪我をした時、自分もビックリしただろう。それで十分だったのではないか。
しばらくして、その子のお母さんから電話をいただいた。聞くと、その子は言訳もせず、ちゃんと自分がふざけて押したために息子が怪我をしたと話したそうである。
やはり、余計な事をしてしまったか。という反省と同時に、そのお母さんの話を聞いて、ちょっと清々しい気持ちにもなった。
☆この記事のライター:UKEUKE
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